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津波被害から20年 奥尻島視察② [議会・政治]

1993年 7月12日 午後10時17分12秒

北海道南西沖地震が発生しました。

あと一週間で丸20年を迎えます。

当時、東京の大手町で銀行員生活を送っていました。日銀の検査が入ると言って、毎晩夜12時近くまで業務に追われていました。

奥尻島のほぼ北側で起こった地震は断層の亀裂から発生した津波によって発生後数分で、島の低い部分、すなわち多くの島民が住む部分が、一瞬のうちに巨大な津波に襲われました。

KIMG0752.JPG

地域によっては30メートル近い津波だったそうです。

KIMG0782.JPG

海岸から高台まで数十メートルの狭小な平地に住む人々にとって、地震発生から数分で襲ってきた津波には為す術がなかったのではないかと思われます。

KIMG0763.JPG

しかも、多くの人が眠りについていた最中の出来事です。

その日は大変穏やかな日で、海面は鏡のような平和な日だったとのこと。

奥尻町役場が発行している非売品の記録写真集が、津波とその後の火災被害の凄惨さを寡黙に伝えています。

この日、私たちの視察をHBC北海道放送が同行取材されました。

KIMG0769.JPG

奥尻町役場の当局の説明に聞き入りながら、当時の様子を現場から想像しました。

今回の視察の中から、沼津市の津波対策をはじめとした防災対策に、より良い視点を導けたらと思います。
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コメント 1

リコリス

yahooのニュースで奥尻に行かれた沼津の市議さんと見て
検索してたどり着きました。視察お疲れ様でした
奥尻で起こった短時間の津波到達、沼津では3分の間に駿河湾では
狩野川まで上ると昔から言い伝えられています
平地部分では1分少々で到達の試算を小学生の頃に計算しました

びゅうおの閉門スピードの考慮がまったくされておらず
根拠の無い安心感を得ているのが沼津港周辺です

平地部分でも、津波タワーがあるのは内浦などの
リアス式に津波が高くなる場所のみでとても足りません
我入道地区の避難場所は海から数メートル先の2m程度の高台です
浮島地区なども地盤沈下に関する
多くの昔から言い伝えられた事があります
もう一度防災の為に再考するキッカケを作って下さい

心よりお願い申し上げます
by リコリス (2013-07-12 22:30) 

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